美濃焼について

岐阜県東濃地域は1300年余りの歴史をもつ焼きものの産地です。
現在では日本最大の生産量を誇るまでに発展し、多治見市、土岐市、瑞浪市は「美濃焼」と総称される陶磁器の一大産地として高品質の多種多様な製品を企画・生産し国内外に出荷しています。その生産量は全国シェアの50%以上、和食器に至っては90%、モザイクタイルでは多治見市の笠原町が60%を誇ります。多治見市でいえば「徳利の高田」、「盃の市之倉」、「洋食器の滝呂」といわれるように、それぞれの地域での分業生産が生産性を高めて成長を遂げてきました。現在も各地で特色を活かした製品づくりが続けられています。

今日では、磁器の洋食器や中華食器などの機能性・デザインともに優れた製品が開発され、業務用食器には欠かせない製品となっていますが、生産シェア90%を占めるほどに美濃焼の特色はやはり和食器にあります。
「黄瀬戸」、「瀬戸黒」、「志野」、「織部」は、美濃焼の長い歴史のなかで生まれた、日本を代表する焼きものです。 誕生は茶の湯が流行した桃山時代、独創的な釉薬の開発によって芸術性が高まり、織田信長の保護のもとで千利休や古田織部など、茶人好みの数々の名陶が美濃で創りだされました。これらは「美濃桃山陶」と呼ばれ、わずか40年足らずの間に日本独特の「茶湯」という世界を築き、美濃焼が輝かしく飛躍した時代でした。奔放な筆の絵付け、斬新な釉薬、大胆な形状は美濃焼の基礎となって今に継承されています。
その後、庶民の時代ともいえる江戸時代に日常生活で使う食器が大量生産されるようになり、幕末になると白く硬質な磁器が焼かれ生産性も向上し、美濃焼は全国へと流通するようになりました。

こうして、日本を代表する名陶の継承と産業としての発展を同時に歩んできた美濃焼は、芸術や伝統工芸としてもよく知られています。
多治見市、土岐市、瑞浪市を開催地として3年に一度催される世界最大級の陶磁器の祭典「国際陶磁器フェスティバル美濃」のメイン会場を置く多治見市内には、歴史ある窯元や、美術館、資料館、ギャラリーなどが数多く点在し、人間国宝をはじめ美濃を代表する陶芸作家の作品を鑑賞したり、作陶体験などができる場も多くあることは有名で多くの人が訪れ美濃焼と触れあいます。
また、都市環境・地球環境への社会貢献として、近年のヒートアイランド現象対策にも利用されているモザイクタイルなどはあらたな美濃焼の可能性をもつ分野として改めて注目が集まっています。
産業としての製品、芸術を極める作品が技術の継承と革新を繰り返しながら生み出されるなかで、さらに生産だけでなく再生、再利用、環境問題へも積極的に取り組み、美濃焼は地場産業として地域全体で多くの人々の暮らしや社会と密接に関わりながら日々進化を続けます。




製造工程の紹介


複数製造するため,原型から使用型まで製作します。形状や数量により、鋳込み用、動力ロクロ用等、種類が変わります。(手造りは必要ありません)

微粒状となった原料の土を各種配合し水と混ぜ、圧縮脱水機で水分を取ります。次に真空土練機で空気を抜き、均一な坏土となるまで練りあげます。

焼く直前の土(坏土)を高速成形機にかけ皿や碗を作ります。(円形状以外の角形、袋物等は鋳込みで成形します)成形後、熱風乾燥します。

素焼窯では約20時間、800℃〜900℃の温度で焼きます。素焼きは原料の土の強度を高め、水分を取り除き、可燃物を燃やします。

下絵付けとは素地の生地に絵を付けることを言います。ハンドペイント、機械絵付、直接印刷、銅版転写等の方法があります。

下絵付け後、釉薬をかけて素地の表面をガラス質の保護膜で被います。量産のものは機械で施釉しますが、手掛けするものもあります。

複数製造するため,原型から使用型まで製作します。形状や数量により、鋳込み用、動力ロクロ用等、種類が変わります。(手造りは必要ありません)

本焼きされた生地に絵付けをします。下絵付けと上絵付けの中間的な絵付の方法(イングレーズ)もあります。

再び600〜900℃の低温で焼成し、上絵を焼き付けて完成です。
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