泉陶磁器工業組合の紹介
 
 産地紹介


組合事務所
 泉町は土岐市の北部に位置し、一級河川土岐川以北にあり、久尻、大富、定林寺、河合で形成されています。東西に長く、土岐市の中心市街地であり、JR土岐市駅中央道土岐インターもあり、名古屋市のベッドタウンとして発達した町です。
 泉陶磁器工業協同組合は、4町のうちの1つの定林寺地域にあり、組合員の半数以上が在住していますが、大手2社を除けば事業場規模は家族経営が比較的多く、多品種少量生産で小回りがきく事業所が集積している地域です。

泉河合・定林寺町

泉大富・久尻町
 昔、定林寺番煎茶碗と云われたほど煎茶、湯呑が多く生産されていましたが、時代の流れと共に現在では皿やコーヒーカップ、志野、織部、小鉢、白磁器の角皿、急須など、何でも生産する地域となっています

 歴史的背景

 泉地区の陶業の起源は、美濃焼発祥の歴史のポイント的存在であり、平安時代以前に逆昇ります。
 今より約1300年以前から久尻、高田、御嵩の3地点内に豊富に埋蔵する良質陶土により、須恵器、白瓷、山茶碗などを焼いて各地に多く供給し、生産を続けていました。
 安土桃山時代に志野、織部、黄瀬戸、黒天目など華やかな茶陶を生み、一躍美濃焼の名声を世に響かせたのは泉地区の陶祖「加藤与三兵衛景光」が信長の庇護のもとにこの地、清安寺裏山に登窯を築いたのがそもそもの起こりであり、名実共に美濃焼の元祖的存在となりました。
その後、平穏な江戸時代には全国各地の藩窯が盛んになり、当地はやや衰退傾向をたどり、明治以降美濃焼の多角化、特に磁気質の開発伸展により、更に衰退してしまいました。
 やがてこのままではいけないと強化の為、泉地区の陶業関係者が「陶磁器同業組合」を結成し、その後設立された「岐阜県陶磁器工業協同組合連合会」に伴い、「土岐津陶磁器工業組合」と合併したり、終戦後解散したりで、昭和22年「泉陶磁器工業協同組合」が改組され、今に至ります。

旧 組合事務所

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