大窯の模式図 導入された元屋敷窯模式図

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■16世紀 大窯

天正年間(1573〜92)におもに焼かれたので、天正黒、引き出し黒とも呼ばれています。 本来釉薬の熔け具合を見る色見用の茶碗でした。
器に鉄釉をかけ1200度前後まで焼成したところで、 金属製の火箸で窯内から引き出し、水に入れたりして急冷させます。すると本来窯の中では、
柿色もしくは、天目色になるべきものが漆黒の光沢ある器に変化します。(引き出し黒と呼ばれる由縁) したがって、
基本的に高台も低く安定のある筒茶碗が多く見られます。 桃山時代になっても、黄瀬戸や志野の色見茶碗としていっしょに焼かれます。 

■16世紀 大窯

 室町時代から焼かれた黄色の釉調で古来茶人に珍重されました。 一般に、薄く造った素地に木灰釉を薄く施釉し、焼成された陶器です。
菖蒲や秋草、大根などの線描、菊や桐の印花などに胆礬(タンパン 緑発色する硫酸銅)や鉄釉のこげ色が好まれます。
  そして胆礬が裏まで写った抜け胆礬、写し胆礬と呼ばれるものは珍重されます。釉肌は、柚子肌で一見油揚げを思わせるものを油揚げ手と呼ばれ、明るい光沢のある貫入の入った黄釉で文様がないものをぐい呑手(六角形のぐい呑が茶人に好まれたから)とか、菊皿手(菊花紋、菊型の小皿が多いから)と呼ばれています。
油揚げ手は、向付、鉢などの食器に、ぐい呑手には、皿、向付、鉢、花生、水指、香合など茶道具に多くみられます。

 


■6世紀 大窯

正期中頃にはじまったといわれています。志野の最大の特徴は絵付けがされたと言うことです。これは日本陶器史上画期的なことです。 
印判とか、掻落としとかの技法はありましたが釉薬の下(施釉する前)に絵を描く、いわゆる染付けのはしりです。総じて大振りな素地に筆を使い鉄釉で絵を描き、基本的には長石だけの釉薬を使いじっくり長時間かけて焼きあげられます。当時出所は不明ですが(たぶん土岐川沿いで掘られたと言う説もある)カリ分の多い(焼くとドローっと熔ける)長石が使われていたようです。 
  下絵は身近な風景、物が簡素に描かれています。物によっては、素地、釉薬の中の鉄分が焼成段階に緋色 (鉄粉が熔けて赤く浮き出る)の景色をつくったりします。大振りな器体にたっぷり厚く掛けられた長石釉の白さ、柚子肌の中から浮き上がって見える下絵が最大の魅力とされています。

野には、他に絵のない無地志野、鬼板(自然の酸化鉄)と言われる物を水に溶かし、それを素地に化粧がけし長石釉をかけた鼠志野があります。
鼠志野にも無地鼠志野と化粧がけの後へらで文様を彫り、長石釉をかけることによって、あたかも鼠色の素地に白色の象嵌をあしらったかのように、白い文様を浮きだたせたものもあります。
 そして鬼板の鉄分含有分が少なかったり、化粧がけが薄かったり、その他窯の調子で赤く発色したものを赤志野と呼ばれています。  志野には、茶陶の茶碗、水指に優れた作品が多く、また、懐石用の食器も志野によって完成されたといわれています。 
資料提供                 
土岐市美濃陶磁歴史館(写真選択及び提供)

参考文献                 
・美濃(学習社)            
・美濃窯の焼き物            
・陶磁器釉薬